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もちや



能について







 NHKの大河にちなんで、織田信長と能の話題を。
 信長が、桶狭間に今川義元を討つべく出陣するときの様子を「信長 公記」は次のように記しています。
「此時、信長、敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者があるべきが、と候て螺ふけ、具足よこせよと仰せられ、御物具めされ、たちながら御食をまいり、御甲をめし候て御出陣なさる」
 信長を描いた映画でもテレビでも欠かせない名場面ですが、現在演じられている能の「敦盛」「生田敦盛」にはこの文句は出てきません。信長は幸若舞を好んだ(それしか舞えなかった)といわれていますから、これも幸若の敦盛だったと考えられています。しかし、現在上演されない能に「現在敦盛」という曲があり、その最後の部分がほとんど同じ文句(違っているのは内を−内に、得て−うけ、べきか−べきやの三個所 )なので、もとは能の文句だったかもしれません。
 下天(化天とも)ということばについては、いろいろといわれていますが、能「泰山府君」では、桜を一枝盗んだ女を、五道の冥官・泰山府君が「楽天下天」に住む天人だと見破る場面があります。これは楽天化天のことのようで、ここに住む天人は二十年億年、不死といってもいい寿命があるといいます。それに比べれば人間の寿命は夢か幻のようなもの、誰しも死は免れないのだ、という解釈が納得しやすいようです。
 幸若舞は、福岡県山門郡瀬高町に伝えられていますが、動きがすくなく、変化がつかないので、ドラマでは能や日本舞踊の専門家があらたに型をつけるのが例になっています。NHKでは先に放送した趣味講座「仕舞入門」で、今回の講師でもある友枝昭世師があらたに型付けをして放送しました。仕舞の稽古をなさっている方は、ご自分で型を工夫してみられたらいかがでしょうか。
 信長が本能寺で明智日向守光秀で討たれる十日あまり前、安土城で能をめぐる事件がありました。信長は徳川家康らを接待するため、幸若舞と、梅若座の能を演じさせたのです。
 大正十年五月十九日(旧暦)、安土城内の總見寺の舞台でのことでした。この日は、最初は幸若舞だけたのしむ予定だったのですが、早く済んで、まだ日も高いというので翌日の予定だった梅若座の能を急に見ることとなったのです。
 妙音大夫といわれる美声で知られた梅若大夫広長は、急いで準備をして能「目暗沙汰」を上演しましたが、出演者の誰かが謡か言葉を二度「どふわすれ(度忘れ)してしまい見苦しい結果になりました。大事な客を接待していた信長はかんかんに怒り、梅若大夫を折檻したとか、宿(家)へ使いを遣って首をはねろと言ったなどと伝えられています。
 信長は能のあと再び幸若八郎九郎大夫に舞わせ、よくできたとあってご機嫌がなおり、幸若大夫に褒美を与えました。能は失敗してけしからぬが、金銭を惜しんでいると思われるのは本意でないと、信長は、こちらにも同じ褒美を与えています。
 梅若座は丹波の国(京都府)に本拠をもつ古い歴史のある一座で、丹波の領主となった明智日向光秀の推薦で信長に専属の一座として抱えられることになったのでした。信長の長男信忠が能に夢中になっていたとき、信長は信忠から鼓などの道具や装束を取り上げて、梅若大夫に与えています。
 急に能を見せろと命じられた梅若座の誰かが、準備不足か、お偉方が居並ぶ席で緊張のあまり、舞台で絶句してしまったのでしょうが、推薦者としての明智光秀も具合悪かったことでしょう。それが本能寺の変とかかわりがあるのかどうか。
 今日も能の家として能力をもつ梅若家の伝えでは、大夫広長はその本能寺の変に明智勢として攻撃に加わり、負傷して翌年死亡したといいます。(NHK日本の伝統芸能 能・狂言鑑賞入門3より)